2017年03月11日
3.11
夕方、地元の港に行ってみました。
そう、今日はあの忌まわしい日から6年たった日です
6年前のこの日、私は夜勤だったので
自宅で寝ていて、強い揺れを感じ目が覚めました。
しかし、2003年の地震の時よりも弱い揺れだったので、そのまま寝てしまい
夕方起きてきたときに、テレビのどのチャンネルでも津波の映像をくりかえし流していた。
会社は、港近くの海抜数メートルの場所で、いつも通り夕方出勤すると
大津波警報が出ているのに職場待機の指示が出ていて、休憩所で日付けが変わるころまで待機していた。
今思うと、もし津波の第二波、第三波が大きかったら、職場で被災していたかもしれないと思うと恐ろしいことでした。
(第一波は、港でも浸水していた)
震災でお亡くなりになった方たちのご冥福をお祈りいたします
Posted by 熊雄 at 19:38│Comments(4)
│季節
この記事へのコメント
おばんです。
そうですね、6年前の今日が震災でしたね。
私のブログつながりの知人のページは、その日で止まったままです…。
当時の、3月の私のブログを振り返って見ました。
↓
http://shibaannex.sapolog.com/d2011-03.html
計画停電には苦労しました…。
あらためて、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。
そうですね、6年前の今日が震災でしたね。
私のブログつながりの知人のページは、その日で止まったままです…。
当時の、3月の私のブログを振り返って見ました。
↓
http://shibaannex.sapolog.com/d2011-03.html
計画停電には苦労しました…。
あらためて、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。
Posted by shiba.n at 2017年03月11日 22:45
あの日、私の職場は6階でした。
倒れてきそうになる、コピー用紙の束を必死に押さえていました。
しばらくして、外に避難。
街路灯の揺れが治らなくてとても怖かったです。
家族とも中々連絡とれず…
地元の方々の怖さに比べれば、全然比べものにはならないのでしょうが…
忘れてはいけない!って思います。
倒れてきそうになる、コピー用紙の束を必死に押さえていました。
しばらくして、外に避難。
街路灯の揺れが治らなくてとても怖かったです。
家族とも中々連絡とれず…
地元の方々の怖さに比べれば、全然比べものにはならないのでしょうが…
忘れてはいけない!って思います。
Posted by いしだま at 2017年03月12日 09:02
〉shiba.nさん
こんにちは。
その方、更新出来ない理由があるのですね。
私の従姉妹は、帰宅困難者で都内で宿泊したそうです。
まだまだ、震災の傷跡が至るところに残っていますね。
こんにちは。
その方、更新出来ない理由があるのですね。
私の従姉妹は、帰宅困難者で都内で宿泊したそうです。
まだまだ、震災の傷跡が至るところに残っていますね。
Posted by 熊雄 at 2017年03月12日 11:54
〉いしだまさん
私は、自宅上空の複数のヘリコプターの音で目が覚めました。
港にある石油備蓄基地が火災を起こしていたので
その撮影のため、旋回していました。
6年たった今でも、まだ行方不明者が数千人もいるなんて
現代の技術でも探せないのは仕方ないのですかね。
私は、自宅上空の複数のヘリコプターの音で目が覚めました。
港にある石油備蓄基地が火災を起こしていたので
その撮影のため、旋回していました。
6年たった今でも、まだ行方不明者が数千人もいるなんて
現代の技術でも探せないのは仕方ないのですかね。
Posted by 熊雄 at 2017年03月12日 12:02